日本語の音のリズムから

チ・ヨ・コ・レ・ー・ト
パ・イ・ナ・ツ・プ・ル
一文字でも数をかせぎたくて,前に進みたかったジャンケン遊び,覚えていますか?
こどものころから,私たちは小さな文字までも一文字とカウントしたこの感覚が,まさに日本人のリズム感覚です。
このようなリズム感は日本語を話す私たちには当たり前のようですが,このように外来語を使ったりすると英語教育では嫌われそうですね。
でも,私たちの根っこにはこのリズムが無意識に働いている。
日本語を常に話しているこどもであれば,文字を理解するより早く、4歳までにはすべて完成されていると言われています。

もうひとつ例をあげると いち,にー,さん,しー,ごー・・・ と数を数えるときにも,リズムがありますね。
偶数の数に拍を打ちたくなるこの感覚も日本人なら当たり前。
いち,に,さん,し,ご なんて不自然すぎる!!
日本のこども達は西洋音楽の3拍子のリズムが苦手~ などという説も 日本語のこんなリズムの話を聞けば至極当然のことです。

どこか西洋至上主義!!で押し進んで来た日本の音楽教育を振り返る必要はありませんが,
現在のこども達にそんな苦手意識を克服させる必要も全くないです。

どこまでも日本人らしい,そのままの表現で,
日本人だからこそできる音楽をこどもの時間にどっぷり体験してほしい。
無意識下にある日本人としての能力を,無理なく充分発揮できるのが日本の伝統音楽だと思っています。

長唄の表現は,「これでもか!」というくらい日本っぽい。
これからそんな長唄の魅力が伝わるメッセージを発信していきます。

こどもは正座が好き

こどもが靴を脱いで畳の上に上がったら・・・

まず何をするか,想像してみてください。

長唄クラブの稽古場はいつも畳の上です。

こども達は部屋に入るなり,走り回り,寝転げまわり,床を楽しむといった様子がみられます。


クラブでは唄の稽古では特に正座を強いることはしません,

でも楽器を持つ場合,正座は必須です。

座布団をよけ,挨拶をするときも正座です。

結果的にクラブの稽古中は知らず知らずのうちに正座をしていることになります。

自宅で正座をする経験があるかないかは問わず,こども達はみな正座ができます。

足先を後ろにのばして折りたたみ,すぐに動き出すことのできない不動の姿勢,

何か改まったとき,ここぞと緊張して取り組むとき,気持ちが集中する時,自らの居ずまいを正します。

それはこどもの場合も同じ。

特に正座を強いない唄の稽古においても,こども達は三味線の音が始まれば背筋を伸ばし,集中が高まれば自ら正座をしています。

何かの罰としての正座をするなど,今の子供たちには無縁,

こども達の身体には“自分の一番引き締まった姿”として「正座」が備わっている

こども達の姿からいつも感じることです。

そして長唄のような近世の伝統音楽はみな正座を基本の姿勢をしています。

その姿勢こそが日本の伝統音楽特有の間合い,呼吸,弾みのない静止した音,空間に対する集中力, すべて様式に関わっているからです。

こどものここ一番の勝負の姿勢と伝統音楽の様式の関係,

床を楽しむこども達にとって正座は当然あるべき姿であること,納得いきます。