内側から

先日クラブの練習に体験会で仲間入りしてくださった方がお友達を連れてきてくださいました。
友達と通うほど楽しいものはなく,本当に有難いです。そこで立ち話をしていて感じたこと。

クラブの子ども達に辛い苦しいものである認識をしてもらいたくないなあ,という想いが設立当初からあります。
大人はいつも子供の成長を見守っている立場ではありながら,どうしても何かを習得した証が欲しくなるものです。
例えばクラブの太鼓,これは撥を打つ手があからさまに正誤を表してしまうので他の子にできて我が子が出来ない,という視点に立つとそればかりが気になる。そこで頑張って間違えないようになるまで練習をする,これもとても大切。でも頑張らない子は音楽が出来ない子なのか・・・
太鼓は目立ってしまいますが,クラブでは唄や笛など常に集団で行います。個人の出来不出来を問う場所はほとんどありません,故に習得した証も示し辛いものもあります。
子どもの心情としては,「他の子に紛れて出来ない部分があっても出来た気分になれる」といった感じかも,もしくは「もっと目立ちたい!」とか様々でしょう。もっと上を目指す子供にはプライベートの稽古という道もあるでしょう。

でも、この「出来た気分」クラブではこれを非常に重んじています。
太鼓の右手左手にとらわれて立ち止まることより、この音楽に長く聴き浸ることで培われる内側の音楽を育てること。
その方が将来ずっと大切です。
手を間違わなければいい音楽ができる,ということではないからです。
だから楽しいだけでいい,長く楽しいと感じていればいつか頑張れるものだと思うのです。
学校で散々プレッシャーを浴びて頑張らねばならない子どもたち,
音楽は楽しいもの、
頑張るもの、が最初ではないという認識が育って欲しいです。

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