内側の

今回の演奏会のために新聞社に告知記事を依頼しました。先日も記者さんが遠く離れた一宮市から練習風景の取材に来てくださいました。その時記者さんが2,3人の子ども達に「長唄,楽しい?」などいくつかの質問をしてます。
素直な何人かの子ども達はこの記者さんにきっと「楽しい!」と答えてくれることでしょう。
その時,子どもの「楽しい」ってどのように私たちは理解しているのだろうと思いました。
稽古の時「楽しい」と感じているか否か,実はとても分かり辛い面もあります。
もちろん音楽に集中してこちらの指導に反応がいい場合,上達も簡単に表にあらわれ,いわゆる「指導モデル」となります。子ども達もおそらく音楽の何かに魅かれた証でもありこれはきっと「楽しい」の一種とも言えるでしょう。
でも子どもの表現は様々です。反応がない子ども,もっと言えば,唄いもしないし興味深い表情も見られない子ども,ぼーっとして話を聞いてない子ども,こんな子どもの心情は「楽しい」と無関係なのか。。。

クラブに10年通ってくれている中学生の女子,現在彼女はときどきクラブ活動にあらわれ,小鼓や能管,篠笛を吹いています。経験のある馴染みの曲は本番直前の練習のみで後輩たちの演奏の加勢をしてくれたり,私も彼女を頼りにしたりしています。本番やリハーサルなど子どもたちが興奮して騒がしい時など,彼女が後輩たちを注意をしたり,後輩たちが脱ぎ捨てた靴を彼女が揃えたり,私たちの知らない所でもクラブを支えてくれています。
でもそんな彼女はが楽しそうであったか・・・というと。大人が求めている興味深い反応はなく,ときどき黙って全く参加しない,なんてこともあった,能管の音もいつまでも音がならなかったし,唄えば小さな声・・・でも活動はいつも参加してくれていた。そんな彼女が 小6の時の ある舞台,一緒に「勧進帳」を唄うはずだった仲間が本番で3人もドタキャンになった時,一人でも唄うと言ったのです。そして今でもクラブを続けている。

「楽しい」
この問いを自分に問うとしても,実は難しい。
今,彼女に「楽しい?」などの質問は野暮すぎる。
子どもの「内側の楽しい」
これは簡単ではない,ということ。
これも10年の活動で教えられたことです。

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