到達点
古典音楽を学ぶとき、到達点というものがある気がします。一生かけて何度も同じ曲を習得する長唄は特にそんな事を感じます。
昨日の稽古では3組の新しい体験の方がいらっしゃいました。演奏会にご来場くださった方もいらして大変嬉しく有り難いことです。
演奏会終え「供奴」の唄の稽古を始めることになったメンバーの練習に同席頂きました。「してこいな」と景気良くセリフ調で始まるこの曲は子供達に大人気の曲です。昨日の子供達はその「してこいな」がとても調子良く唄え、指導者も「完璧!」と褒めています。もちろん「完璧」なんてものは音楽にはないのですが、でも今の子供達の到達点から押しはかれば「完璧」。オダテでもなんでもなく指導者とはその到達点を見極めることが最も難しいものだと感じています。その年齢や技量の背景を絡めて到達点をいかに定めるか…古典音楽の指導は日本のものに限らずそういったものだと思います。
それにしても,初めて唄ったら長唄が、わずか5回で「完璧」?
1回唄うことに少しずつ指導を加え5回目には自信を持って唄い切れる…
「してこいな」と一音一音明瞭に唱えるように5音をキメていく要領は正に七五調、抑揚とタメの効かせどころも、どことはなく聞き馴染みのある響きです。
長唄が簡単な音楽であるわけがなく、この「完璧」とは子供達自身の素地からくる!
これが自国の古典音楽を学ぶ凄いところ、と。
昨日はいいお稽古に遭遇しました!