継承することの意味づけ

改めて

こどものいろんな表情の写真を眺めてみる

そして

写真から見る彼らの内側をのぞいてみる

子供達との対話から

長唄とはどんな音楽?

その中の答えにあった

「座って唄う音楽」

「縦書きの日本語を読む音楽」

当たり前すぎるけど

子供達にはその一つ一つが長唄と一体となっている

そういえば

収録中、マイクの位置が高いことから収録会社の方からマイクに向かって唄うことを勧められた時も、子供達は唄う姿勢を変えることはなく

唄う写真は全て同じ

つつましやかに

軽く会釈をしたように目線を下げ

弾みのない静の姿勢

正座以外では唄えない音楽

座って唄うことが心地よい音楽

と彼らの習得がそれを映し出す

起立し指揮に合わせ合唱することとは違う

という体験は新たな土壌を生む。

日常とは違うもう一つの土壌

受け継がれてきた日本の東洋の座の文化が

ようやくここで

彼らにとって比較できる価値をもって1つの意味をなす

伝統継承することとは

現代ではこんな意味付けが必要なのかもしれない

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